富裕層に税を払わせよう – エマニュエル・サエズ『つくられた格差』

悶々と抱いていた問題意識を次々とクリアしてくれるありがたさよ。エマニュエル・サエズ『つくられた格差』は読んでいてワクワクが止まらない傑作だった。ちなみに翻訳の底本は出版社のサイトでは明記されておらず「書影の味付け」程度でしか扱われていないが Emmanuel Saez “The Triumph of Injustice” (2019) である。原題のサブタイトル “How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay” は、意訳すると「富裕層の租税回避を防ぐ方法」であり、本書が扱う主題を的確に表している。

ピケティが明かした課題

さて、トマ・ピケティ『21世紀の資本』(2013) は世界的なベストセラーとなり、社会科学の金字塔を打ちたてた。しかし同書は具体的な解決策までは示していなかった。ピケティの共同研究者であるサエズは、そこに爽快なまでに真っ向からの処方箋を提示している。

目次:

  • 序 民主的な税制を再建する
  • 第1章 アメリカの所得と税
  • 第2章 ボストンからリッチモンドへ
  • 第3章 不公平税制の確立
  • 第4章 バミュランドへようこそ
  • 第5章 悪循環
  • 第6章 悪循環を止めるには
  • 第7章 富裕層に課税する
  • 第8章 ラッファー曲線の呪縛を乗り越える
  • 第9章 将来可能な世界
  • 最終章 いまこそ公平な税制を

圧倒的な実用性の高さ

格差是正の政策に対する言い訳めいた反論は数多くあるが、サエズもピケティよろしく「過去データをご覧ください。ご指摘のような影響はなかったのです」と返せているのが強い。例えば所得にかかる税率を上げると労働のインセンティブを毀損して経済規模を縮小させてしまうという指摘。これも実は誤謬であり、過去の実績から民間の貯蓄への影響はみられなかったとしている【図5-4】。

経済学に限らず理論研究の難しいところは前提条件が強めに設定されがちという点だ。言い換えると程度の大きさはあれど「非現実な前提」を置いてしまっているということであり、提唱された理論を政策に落とし込むに当たって二の足を踏んでしまう要因になりうる。逆に前提条件の弱い研究成果は、汎用的な一般化に成功しているということであり、それはまれに見る大業績というわけだ。そういう意味でピケティやサエズの仕事は歴史に対する後ろ向きの研究であり、応用可能性が高いといえる。

むろん歴史にはコンテキストがある。また、研究の題材にするにあたっては調査対象の恣意的な取捨選択などができてしまう余地もある。特に本書は「合法的な脱税租税回避)」を扱っているので信頼できるデータを集める難しさは素人目にも明らかだ。そういった制約を乗り越えるべく、サエズは指標として 国民所得 (national income) を重視し、恣意的な取捨選択が起こりにくい網羅的なデータを好んで参照している。

国家とグローバル企業

日本は上位10%の所有する資本が 41% とOECD加盟国でも格差は小さいが、それでも 法人税 (CIT; corporate income tax) の国際競争に巻き込まれている。パナマ文書などのニュースを見聞きするにつけ、何か効果的な対策はないものかと頭を悩ませた人も多いのではないだろうか。自分も何ならば、近代国家という枠組みがもたらす避けようのない脆弱性なのかとさえ思ったこともあった。

すべての税は生身の人間に行きつく訳だが法人税は法人のオーナー (≒ 株主) による負担であることが研究で明らかにされている。つまり法人税の「値下げ競争」は、そのまま法人のオーナーへの減税である。そもそも租税回避のために法人などの entity を「悪用」することは租税の原則に違反しているのに、会計事務所などが暗躍して巧妙に租税回避させている。サエズの案は、これを原則に正そうとするものだ。

本書では、グローバル企業が現地で得た利益に対して課税することを提唱している。いざ方策を提示されてみると、拍子抜けするほど簡潔だ。例えばネスレに対するスイスの法人税が低すぎるなら、日本での利益には二重課税にならない範囲で日本国内で徴税する。タックスヘイブン側の税制を強要すると内政干渉になってしまうが、あくまで差額分は現地法による徴収なので政治的な問題がない。オペレーション面でも、例えば利益計算などの徴税に必要な資料は法令に基づいて企業に提出させることができる。もちろん効率化のため国際協調で情報を融通しあってもいい。企業としても、現地市場へのアクセスを諦めて撤退する選択肢はある。

Tax policy analysis – OECD

筋金入りのシンプルな税制

サエズらは、個人や法人を区別しない簡素な累進課税で、最高税率は 75% が妥当と考えているようだ。シンプルであればあるほど、専門知識によって租税回避する余地を小さくできる。

とはいえ民主主義である以上、税制は有権者の手によって決められるべきだ。サエズらは有権者の意思決定を助けるため taxjusticenow.org にて Make Your Own Tax Plan を提供している。ぜひ試してみてほしい。

書籍の入手先

本書が広く読まれて、社会常識になってほしい: