外国人の配偶者が「姓」を有していない場合 子のパスポートに別名併記できるのか

いわゆる日本人同士の結婚で話題にあがる夫婦別姓とは異なるのだが、今日も今日とて文化の壁を乗り越えるべく奮闘してきたので事の次第を書き起こしておく。ちなみに雪さん(筆者の配偶者)は自身の名前がもたらすトラブルには国際便などで慣れっこで、待合席で涼しい顔をしていた。

さて日本人と外国人の間に生まれた子のパスポートには外国式の姓を「別名併記」として括弧内に記載できる。

《括弧書きの記入例》

当初、書類には希望する旨を記載していなかったが窓口で「配偶者の姓を併記できますよ」と言われ、お言葉に甘えることにした。そんなに簡単な話でないのは社会保険の扶養など数々の試練を乗り越えてきた自分は重々承知だったが、時間が許す限りは粘ろうと覚悟していた。

文化のエッジケース

前提として雪さんは モンゴル系中国人 で、親族と共通の (surname) は持っていない。しかし詳しくは後述するが国際規格でパスポートには primary identifier (e.g., surname) の記載が必須らしく、中国のパスポートには元の given name のみがそれとして記載されている。といっても日本版とは違って中国のパスポートでは姓名の欄がそれぞれにあるわけではないのでカンマによる姓名の区切りはなしで単に “ZHAO” といった風に印字されている。

中国のパスポート例 — 姓名がカンマで区切られて表記されている》

さて役者が出揃ったので顛末を時系列で書き起こしていく。

① 持参していた住民票の写しが通用せず。姓が区別できるよう中国のパスポートをとの要請があった。スマホで撮ってあったパスポートの写真を見せながら住民票に同等の情報が記されていると窓口で説明したのだが「役所仕事にお付き合い願う」とのことだったので渋々応じた。雪さんのパスポートを最寄りのコンビニのネットプリント経由で印刷して窓口を再訪した。

② やはりパスポートでも通用せず。先述の通り、表記上では姓を特定することが難しく、同じ問題が繰り返された。わざわざ姓を「家族と共有しているか」まで聴取することに奇異さは感じたものの、できる限りの説明は行った。文化的な背景を理解してもらえず係の人を介して審査員との伝言ゲームの問答が続き、世帯で同じ名字を共有していないことが分かる書類(出生証明書や戸口の写し)があれば送って欲しいとのことだった。窓口で申請を受理して後日FAXでもよいと譲歩はしてもらっていたのだが、そもそも自分にとって存在すら定かでない外国の書類を取り寄せる気にはなれず別姓の併記を諦める旨を伝えて手続きを進めてもらった。

転③ 別姓の併記はしない方針で窓口の方と申請書類の直しをしていると、奥から窓口に何名か来て「どうにかなりそうだから待ってくれ」という旨が伝えられた。これまでの説明を元に裏取り調査をしてくれていた模様。

結④ パスポートセンターの名誉のために記すと、審査員の方を含めて別名併記ができるよう協力的だった。どうにか裁量の範囲内でクリアできるとの判断があったのか「事情説明書」なる書類で知事宛てに文化的な背景を説明すれば別名併記で受理してもらえるとのことだった。このあたりはケースや管轄の都道府県により運用が異なりうるとお見受けする。ともかく事情を書き上げて、申請が無事に受理され、通常通りの日程での受け取りに至る。

《伝家の宝刀「事情説明書」》

パスポートの仕様を読む

帰宅後、せっかくなのでパスポートの仕様を調べてみた。

日本でいう「姓」は国連の専門機関 国際民間航空機関 (ICAO) による規格だと primary identifier に相当する。そして意訳になるが、雪さんの場合は「名前全体であるところの2つに分かつことのできない所持者の名前」に該当するように読める。

The issuing State or organization shall establish which part of the name is the primary identifier. This may be the family name, the maiden name or the married name, the main name, the surname, and in some cases, the entire name where the holder’s name cannot be divided into two parts. This shall be entered in the field for the primary identifier in the VIZ.

Ref. ICAO – Doc 9303: 3.4 Convention for Writing the Name of the Holder

また primary identifier のみを用いる場合にはカンマ区切りも不要とあるから、当然ではあるが中国のパスポートは国際規格に則った表記になっている。

If a single field is used for the name, then the secondary identifier shall be separated from the primary identifier by a single comma (,). A comma is not needed if multiple fields are used.

Ref. ICAO – Doc 9303: 3.4 Convention for Writing the Name of the Holder

この国際規格に江戸期の日本が準じるとすれば、大部分の農民たちは例えば “YOSAKU” といった風に下の名前 (given name) のみが primary identifier としてパスポートに登録されていたことだろう。名前が “SAKU, YO” や “YO, SAKU” といった具合で2つに分けて印字されるわけではない。

旅は始まっていない

かくして我が子のパスポートには別姓が括弧書きされる運びとなった。

しかし実は旧姓を併記した方のエピソードを聞く限り括弧書きでの alternative surname の記載は、所々で問題を引き起こすそうだ。何なら先述のICAOの仕様に準じる表記ではないと外務大臣自ら表明してすらいる。国際規格に準じた結果が括弧書きまで含むと擁護するでもなく、あくまで 正式名 (formal name) ではないとしている。またICチップには国際規格に準じた情報のみ書き込まれており、券面の記載との齟齬もきたしている。そうした負い目もあってか窓口では併記を消す手続きができる(が、再登録は不可である)旨、案内があった。

これらを踏まえても、なぜ自ら面倒を引き起こして別名併記を望むのかと疑問かもしれない。それは第一義的に雪さんが記載してほしいと希望したからである。本人はできあがったパスポートを見て「括弧の中じゃん」ってツッコミを入れていたが(もっともな感想だ)。自分から見ても、外国にも通用する身分証に母子の関係を示す痕跡が刻まれていてほしいと願うのは自然な発想である。あるいは確定申告などもそうだが、書類仕事から読み取れる地域の慣習というのも意外と興味深く忍耐が許す限り尽力するにやぶさかでない。

今日の問題も、今後また起こるであろう問題も、皮肉な言い方にはなるが日本の「」の硬直性を堅持しようとする有権者らの計らいの賜物である。その枠から外れた者の家族として、粛々と社会の端で奮闘を続けたい。

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以上